幻想的な日々。はまだ我の手にない。

演劇とテレビと音楽。お笑いと小説と映画。そして幻想的な日々はまだ我の手にない。 でもあなたのことを想ったり。あなたの幸せを願ったり。詩を書くのも好き。ほんとはもっと明るく楽しい人生を送りたいだけなのに。。。難しいです。男の子でも女の子でもそんな年頃なのかもしれません。

『秘密』(東野圭吾)

イメージ 1

 
 
 
読んでいるうちにね。
なんか、美しい物語だなー。
と思ったの。

東野圭吾さんの『秘密』


最近、と言っても去年の冬ぐらいからだけど
東野圭吾さんの本を
冬に1冊、夏に1冊
って感じで読んでるんですね。


でー。
今年の夏に読んだのが、、、


去年の夏にやっぱり
東野圭吾さんの『手紙』を薦めてくれた同僚Iさんに
「最近、よかった本」といって
薦めてもらったのが
この作品・・・『秘密』でした。

なんでも、Iさん。

ここのところ、東野圭吾さんばっかりにはまってるそう・・・≧▽≦。


ところで、この『秘密』。

実は だいぶ前に
映画版の方は観た記憶があるんですね。


ただ、それがもぅ
あまりに古い記憶であって
冒頭のスキーバスのシーンと
ラストの公園のシーンを
なんとなく覚えてる程度のものでした。


知ってたんだよ。

公園のシーンは。


せつない結末が待っていることも・・・。

但し、小説の本当のラストシーンが映画版に含まれていたかどうかはちょっと覚えてないんです。

それほど、公園(小説を読み終わるまではその公園が山下公園であることは全然覚えてませんでした。)
のシーンは、
心にジーンと来た記憶があったんです。

(なにせ、なんとなくだけど、そのカメラアングルまでうっすら記憶に残ってるほどですから(^○^))



スキーバスの転落事故に巻き込まれた妻と娘。

奇跡的に生き残った娘の体には
妻の意識が宿っていた。



そんな奇想天外な設定のお話。


なんか、中盤まではね、
東野圭吾さんの本を読むときはいつも決まってそうなんだけど
今回もまたあわないかなー。と思ったの。

狙いがよくわかんなかったから。


娘の体に妻の意識が宿る・・・。

ラストの結末を知っていたにもかかわらず、
どうも、その思いつきだけで
物語を書いてしまっているんではないか?と思ってしまったから。


なんとなくね。
状況的にはありえない状況で
主人公も混乱はするとは思うけど、
仮にも 娘(形的には妻)をなくした悲しみが
あまりにも ちょっと希薄なんじゃないの?
とか思ったの。


そこを抜きにして物語を進めてもよいのかと。


そこは作者も
描かなければいけないところではないのかと。



ただ、中盤を過ぎてから
(具体的にどのへんかは、ちょっと言えないんですけれどぉ)
なんとなく物語が加速していって
雰囲気に悲しみを帯び始めた頃から

正直、ページをめくる手が
止まらなくなったのです。


娘の名で妻を呼ぶ主人公。

奇妙だけれど
再び、訪れる3人の時間。


そして(本当のラストではないけれど・・・)
ラストシーンの山下公園



正直、東野圭吾さんは
いうほど文章はうまくないと思うんですね。

なんとなく
理系の人が(それも文章が苦手な理系の人^▽^が)
苦労して苦労して
書いた苦心の物語!
って感じがいつもするんです。

流暢じゃない。というか。
文章が固い?というか。(って、何様だよ。おいら(爆))


でも、ほんとにいつもそんな感じがしてて・・・。


それでも、ページをめくる手が止まらない!!
というのが
この物語から何か、
自分なりになにか大事なものを感じているからなんだろなぁ~。
などと、思ったりしたのです。


美しい物語だったと思います。



果たして、直子が(妻が)
秘密を抱えていたかどうかは別にして。。。




美しい物語だったと思います。




Iさん。
今回もいい作品をありがとぅ。



冬にはまた、なにかいい作品を紹介してくださいね☆




「自分が愛する者にとって幸せな道を選ぶ―。」



「ありがとう。さようなら。忘れないでね。」