幻想的な日々。はまだ我の手にない。

演劇とテレビと音楽。お笑いと小説と映画。そして幻想的な日々はまだ我の手にない。 でもあなたのことを想ったり。あなたの幸せを願ったり。詩を書くのも好き。ほんとはもっと明るく楽しい人生を送りたいだけなのに。。。難しいです。男の子でも女の子でもそんな年頃なのかもしれません。

マグダラのマリア

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昔、メル・ギブソン監督の

キリストが十字架を担いでゴルゴダの丘を登っていくだけの映画(失礼w)『パッション』を観たけれど、感想書いてなかったですね。

 

今回観たのは、『マグダラのマリア』という作品。

タイトル通り、マグダラのマリアが主人公の作品ですが、

まぁ、どちらかというと、マグダラのマリアがキリストに従事してからの

キリストの物語ですね。

 

WOWOWで放送されていて、

何で今更、マグダラのマリア?って思ったら、

キリスト役が、ホアキン・フェニックス(JOKERのジョーカー役!JOKER、まだ観てないけど!w)なんですね。

『JOKER』放送するから、そのキャンペーンの一環だったみたいw

 

あと、キリスト教は、その昔、知識として少しは押さえてみたけれど、

実際の教義とかは、そこまで深く知らないから、『マグダラのマリア』って、少し誤解してました。

映画の最後のテロップで、その誤解が「591年にグレゴリウス1世がマリアが娼婦だったと主張」したことに端を発していることを知り、

また、「2016年(そんな最近w)マグダラのマリアはイエスの復活の証人として使徒と同等の地位を認められた」ことを知る。

 

なるほどねぇー。だから、このタイミングで映画化なのか。

 

にしても、キリスト教って

ローマ(帝国)の圧政のカウンターとして、教えを拡げていたけれど、

実際、世界宗教化するのは、そのローマ(帝国)がキリスト教を国教としたからですよね?

なんか、成り立ちから、少し変なの。 (私の理解が間違っている可能性はあるw)

 

でー、イエスって、どこまで無慈悲の聖人だったのかが、やっぱりよくわからないのよね。

この映画では、イエスは聖人。マグダラのマリアもイエスを真に理解する聖人。使徒は、少し自分が成り上がるための手段としてイエスを持ち上げているだけの戦略家。むしろ、一般的には裏切り者とされているユダは、純粋にイエスを信じきっていた(そのため、奇蹟を起こさざるを得ない状況にイエスを追い込んで、奇蹟を起こしてもらおうとした)純粋無垢な若者。そんな描かれ方をしていたように思う。

 

でもねー。ほんとにイエスは聖人だったのでしょうか。

ローマの圧政から人々を解放することを理由に、自分自身を何者かに昇華させようとする戦略を、ほんとほんの少しも抱いていなかったのでしょうか。

 

少なくとも、弟子の使徒たちは戦略家だから、単純に純粋無垢なイエスが、使徒たちの名誉欲に利用されただけという可能性もあるなぁーと思って。

 

どうなんでしょうね。

ちょっと危険なこと書いてるけどw

 

まぁ、映画は意外と面白かったです^^

 

あと、やっぱり、世界で一番と言えるほど有名な歴史上の人物を

もう少し深く知りたい!っていう気はずっとしています。(だから、許してw)

 

かしこ。