幻想的な日々。はまだ我の手にない。

演劇とテレビと音楽。お笑いと小説と映画。そして幻想的な日々はまだ我の手にない。 でもあなたのことを想ったり。あなたの幸せを願ったり。詩を書くのも好き。ほんとはもっと明るく楽しい人生を送りたいだけなのに。。。難しいです。男の子でも女の子でもそんな年頃なのかもしれません。

世界の中心で、愛をさけぶ

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朝目覚める度に 君の抜け殻が横にいる
ぬくもりを感じた いつもの背中が冷たい



ご存知、平井堅の主題歌が映画のエンディングをかざる
セカチューこと世界の中心で、愛をさけぶなんですけど。


今日、またこの映画を観てしまいました。

またというのは、実は3・4ヶ月前にもやっぱりビデオで観てしまったんですが。

あまり、同じ作品を何度も観帰すというのは
僕にとっては非常に珍しいことであり
でも今日はなぜか もう一度、セカチューを観たいなぁって気分になって。

あのー。
単純に すごくいい作品なんだと思うのです。
興行的に売れたとか、ブームになったとか、
そういうことはまったく抜きにして
ただ単純に すごくいい作品なんだと思うのです。


3・4ヶ月前、この作品をビデオで観た時
ほんとは、レビューをこのブログに書こうと思ってたんですが
ただ単純にいい作品だなぁ~ってことしか書く言葉が思いつかなくて。

改めて、もぅ一度観ても、やっぱりいい作品だなぁ~って言葉以外にあまり言葉を思いつけない自分が悔しかったりするのですが。


自分以外の他人。
人を想うということは、やっぱり素敵なことだなぁ。って思うのです。
たとえ、もしそれが、うまくいかなかったり、哀しい結末で終わったとしても。



「あなたと過ごした永遠の何分の一かの時間が、私の生涯の宝物です。」


亜紀は若くして亡くなってしまうんだけど、きっと上の言葉は本心で
決してその短い生涯に満足はしてはいないだろうけど、全く幸せでなかったかといえばそうではないと思うのです。



「残された者に出来るのは 後片付けだけだよ。」


重ジィの言葉。

そして残された朔太郎なんですけど…。

あれほどまでにちゃんと亜紀を想えた朔太郎は
同様に律子のこともちゃんと想えると思うのです。




あの日見せた泣き顔 涙照らす夕陽 肩のぬくもり
消し去ろうと願う度に 心が 体が 君を覚えている



あなたには。僕には。
生涯をかけてちゃんと想える人がいてるでしょうか??


たとえば
ささいな自尊心で傷つけあったり
臆病なだけで言い訳したり。
見返りがないと不平を言ったり。


僕は想う人になりたいなぁ。って思うのです。

人生は、多分。
多分っていうか確実に、永遠の何分の一しか生きれないから。

あなたを想う事が私の生涯の宝物だ。と言える人に出会うまで。
あなたを想う事が私の生涯の宝物でした。と言って死んでいけますように。

心をしっかり磨いて
毎日を生きていきたいと思うのです。



世界の中心で、愛をさけぶ


観たことがない人は、ぜひぜひ1度 観てほしいな。って思います。
そして
人を想うということは、やっぱり素敵なことだなぁ。って改めて改めて思ってしまったりするのです。


名作だよー。
個人的にむっちゃ好きな作品の1つですvv。



あぁぁ、やっとレビュー書けたぁ~ 0(^0^)0

つたないレビューで申し訳ないです。