幻想的な日々。はまだ我の手にない。

演劇とテレビと音楽。お笑いと小説と映画。そして幻想的な日々はまだ我の手にない。 でもあなたのことを想ったり。あなたの幸せを願ったり。詩を書くのも好き。ほんとはもっと明るく楽しい人生を送りたいだけなのに。。。難しいです。男の子でも女の子でもそんな年頃なのかもしれません。

アジアの女(新国立劇場)

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最近は、何故か演劇のビデオばっか観てる私ですが。
今回はDVD鑑賞ではなく、
2ヶ月ほど前にBSの『ミッドナイトステージ館』で放送してたお芝居を。


『アジアの女』


これが長塚圭史君が初めて新国立劇場に書き下ろした作品であるようで・・・。



舞台は近未来の大地震直後の東京。
1階が潰れ、2階が元の1階部分に下りてきている家に住む兄と妹。
次の余震がくれば、今にも崩れそうな家の隣で
兄妹の住む場所は 実は立ち入り禁止区域に指定されている。

妹は震災前から精神を病んでおり
荒れたコンクリートに畑を作り、毎日水を遣っている。
彼女がそこを立ち去らないのは
妹は 潰れた1階にいるネズミを父だと勘違いしているからだ。

そんな妹を想い、
兄はそこに立ち留まる生活を決意しているが
倒壊の恐れのある隣の家に怯え、酒浸りの毎日を過ごしている。
妹に好意を寄せる1人の若い警官が
そんな彼らに物資を届け、生活の助けをしていた。


そこに、作家を名乗る男が兄に因縁をつけにやってくる。
かつて兄はこの何の才能もない作家の作品を
彼の上司(作家の父親)に言われるがまま雑誌に載せ続けていた。

作家は作家にもかかわらず創造力が皆無で
事実の羅列以上のものを書けない。
そこでかつての編集者である兄に一緒に文章を考えろと強要してきたのだ。

妹はそこで兄が作家に迷惑をかけていると勘違いし
作家に私に出来ることならなんでもすると約束する。
作家は煙草とチョコレートが欲しいと言い、街で探してくるように命令する。

妹はそれに従い、一人で町に出る。
それを知った兄はひどく取り乱すが
妹は街であった女に物を用立ててもらい、さらにはその女を家に連れてくる。

女は妹に「ボランティア」の仕事を斡旋するといい
兄は妹の回復を信じ、街で「ボランティア」の仕事を行うことを了承する。

街では震災の混乱に乗じ、中国・韓国人への悪い噂が流れている。
そんな中、妹は街で出会った中国人教師に恋をし、
そして、作家の口からは美しい物語が紡がれ始めるが・・・。




正直、長塚圭史君の作品は感想を書くのが難しい。

僕はいつも長塚圭史君の作品を観終わった後は心がぼぉーっとしてしまう。

心を激しく揺さぶられるのではない。

なんとなく、心の何かを抜き取られたかのような・・・
なんとなく、心の隙間に穴をあけられたかのような・・・

そんな感じにいつも陥ってしまう。


例えば、大王の作品なら あぁぁ、むっちゃおもろいなぁ~であったり
例えば、G2さんの作品なら 優しく心を包みこんでくれていたり
そんな感じもするのだけれど・・・


物語は淡々と進む。
大きな事件も大げさな仕掛けもなく
ただ物語は淡々と進む。

登場人物はたったの5人。

舞台上には
なんとなく 生きることへの執着と
そこから派生する哀しみと苦しみが微妙なバランスで漂っている。

でも、だからと言って
このお芝居が優しくないというわけではない。
むしろ、むっちゃ優しい。

優しくて優しくて
そして心をどこかに抜き取られてしまう。


生きたいからこそ哀しいのだ。
生きたいからこそ苦しかったり。
でも生きているからこそ喜びも感じられる。


ラストシーン。
淡々と進んだ物語が
まさか こんな終わり方をするなんて思いもしなかった。

そして噂によると
お芝居はカーテンコールもなく、そのまま終演したそうだ。


これは生で観てたら
ちょっと後遺症が残りそうだなぁ~。
映像で観ても後遺症、残りそうだもん。

優しくて、哀しくて、
苦しくて、でもやっぱり優しくて。



長塚圭史君の作品は感想を書くのが難しい。

心をすっかり抜き取られて、語る言葉がなくなってしまうから。



それでも(それでも。って言うか、だから?)
長塚圭史君の作品はこれからもずっとチェックしておきたいと思う。


夏の『少女とガソリン』も観に行く予定にしています。


かしこ。