見えざるモノの生き残り(イキウメ)
いきなり初めに言っちゃうと
こういうお芝居が個人的には
すごく好き。
趣味趣向にあっているというか
シンクロする感じがするというか。
なんだろ。
語弊を承知で言っちゃうと
少し浮遊感がある感じ・・・。
以前観たイキウメさんの作品が
なんとなく自分の感性に
すごくマッチしているような気がして
それを確かめに
年末も慌しい中、
それでもやってきたイキウメさんの大阪公演を
時間を作って行ってきました。HEP HALL。
見えざるモノの生き残り
今回は、座敷童子のお話で。
座敷童子と言っても、本人達ももぅ十分な年齢なので
自分達を「童子」と呼ばずに、「家守」と呼んだり。
記憶をなくした青年が
その「家守」にスカウトされて
「家守」の"いろは"をチュートリアルされていく。
「家守」にとっては
家に上がりこむまでが勝負。
「お茶を一杯いただけますか?」
そこで「Yes」と言ったら契約成立。
受け入れるか受け入れないかはその人次第。
そして、先輩家守による
成功事例の事例報告。 ― 梅沢家の場合 ―
青年の蘇る記憶。
座敷童子が満足したら、
そこで「満期」が訪れて
座敷童子はその家を去る。
「満期」の定義は
「家守」自身がこの家に
ずっといたい。と感じた時だ。
つまり。。。
一番去りたくないタイミング。
そのタイミングこそが「満期」。
その後の梅沢家。
「幸せ」ってなんなんだっけなぁ。
「幸せ」の定義は人それぞれで
青年の過去に関わった女性は
自分に降りかかる出来事は
それが幸せであれ、不幸であれ
全てに意味があるという。
意味のない出来事はない。
たとえ、それが不幸な出来事でも。
たとえ、それが理不尽な試練でも。
それらは自分が生きるために、
それらは自分が生きる糧とするために
起きた出来事。
だから、
親が残して逃げた莫大な借金も
私は
引き受けて返していくんだ。
座敷童子はそこにもいる。
家の者しか見えないけれど
もしかしたら隣の家にも。
作家性がすごい好きなんだよねぇ~。
と
ほんとに思う。
日常っぽい非日常に
哲学性やメッセージが
すごく込められている。
「幸せ」って
それこそほんとに曖昧な定義だけれど
座敷童子、彼らがいることで
人は「幸せ」について思いを巡らし
その意味を考える。
もしかすると
その過程が、人にとっては一番大事。
なんだか単純なことだけど・・・
それをこの空気感(世界観)で演じられると
やっぱびんびんと心の琴線に触れるものがあるんですよね。
やっぱ、いいなぁ~。と思ったよ。
イキウメさん。
やっぱ、いい劇団ですよね。
個人的にむっちゃ好きです!!
あと公演は、土日
大阪でやってるみたいなので
興味ある方はぜひぜひ♪
この世界観、味わってほしいなぁぁ。。。
(でも、チケットないのかなぁ。ほげぇ~・・・≧▽≦)
「今はどう?幸せかなぁ??
誰かに言ってもらわないと、わからなくなるのよねぇ。」
「お茶を一杯いただけますか?」