幻想的な日々。はまだ我の手にない。

演劇とテレビと音楽。お笑いと小説と映画。そして幻想的な日々はまだ我の手にない。 でもあなたのことを想ったり。あなたの幸せを願ったり。詩を書くのも好き。ほんとはもっと明るく楽しい人生を送りたいだけなのに。。。難しいです。男の子でも女の子でもそんな年頃なのかもしれません。

見えざるモノの生き残り(イキウメ)

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いきなり初めに言っちゃうと
こういうお芝居が個人的には
すごく好き。

趣味趣向にあっているというか
シンクロする感じがするというか。

なんだろ。
語弊を承知で言っちゃうと
少し浮遊感がある感じ・・・。


以前観たイキウメさんの作品が
なんとなく自分の感性に
すごくマッチしているような気がして
それを確かめに
年末も慌しい中、
それでもやってきたイキウメさんの大阪公演を
時間を作って行ってきました。HEP HALL。




見えざるモノの生き残り



今回は、座敷童子のお話で。

座敷童子と言っても、本人達ももぅ十分な年齢なので
自分達を「童子」と呼ばずに、「家守」と呼んだり。

記憶をなくした青年が
その「家守」にスカウトされて
「家守」の"いろは"をチュートリアルされていく。

「家守」にとっては
家に上がりこむまでが勝負。

「お茶を一杯いただけますか?」

そこで「Yes」と言ったら契約成立。

受け入れるか受け入れないかはその人次第。

そして、先輩家守による
成功事例の事例報告。 ― 梅沢家の場合 ―

青年の蘇る記憶。

座敷童子が満足したら、
そこで「満期」が訪れて
座敷童子はその家を去る。

「満期」の定義は
「家守」自身がこの家に
ずっといたい。と感じた時だ。

つまり。。。

一番去りたくないタイミング。
そのタイミングこそが「満期」。


その後の梅沢家。


「幸せ」ってなんなんだっけなぁ。

「幸せ」の定義は人それぞれで
青年の過去に関わった女性は
自分に降りかかる出来事は
それが幸せであれ、不幸であれ
全てに意味があるという。

意味のない出来事はない。

たとえ、それが不幸な出来事でも。
たとえ、それが理不尽な試練でも。

それらは自分が生きるために、
それらは自分が生きる糧とするために
起きた出来事。

だから、
親が残して逃げた莫大な借金も
私は
引き受けて返していくんだ。


座敷童子はそこにもいる。

家の者しか見えないけれど
もしかしたら隣の家にも。





作家性がすごい好きなんだよねぇ~。

ほんとに思う。

日常っぽい非日常に
哲学性やメッセージが
すごく込められている。


「幸せ」って
それこそほんとに曖昧な定義だけれど
座敷童子、彼らがいることで
人は「幸せ」について思いを巡らし
その意味を考える。


もしかすると
その過程が、人にとっては一番大事。


なんだか単純なことだけど・・・

それをこの空気感(世界観)で演じられると
やっぱびんびんと心の琴線に触れるものがあるんですよね。


やっぱ、いいなぁ~。と思ったよ。


イキウメさん。


やっぱ、いい劇団ですよね。


個人的にむっちゃ好きです!!


あと公演は、土日
大阪でやってるみたいなので
興味ある方はぜひぜひ♪

この世界観、味わってほしいなぁぁ。。。
(でも、チケットないのかなぁ。ほげぇ~・・・≧▽≦)



「今はどう?幸せかなぁ??
   誰かに言ってもらわないと、わからなくなるのよねぇ。」


「お茶を一杯いただけますか?」